第十一話:皇太子騒動


高祖劉邦は戚姫を寵愛し、如意という子を生ませ、趙王に立てた。

そして、これを呂后との間にできた嫡子劉盈(後の恵帝)と替えようとした。

群臣は諌めたが、太子の地位は宙ぶらりんのままであった。


これを一番心配したのは呂后であった。

しかし呂后はもう初老であり、戚姫を止めることはできない。どうしてよいかわからない。

すると呂后に侍っていた者がいった。

「留侯(張良)は策謀を立てるのが巧く、しかも陛下に信用されています。」


呂后は、兄の呂釈之を張良の元へ派遣して、脅迫させた。

呂釈之 「あなたは常に陛下につき従い、謀臣として活躍しました。

今、陛下は皇太子を変えようと考えておられます。

あなたはどうしてこの事態を見捨て、枕を高くして寝ていられるのですか。」

張良 「以前、陛下は常に困苦危急に中におられ、

幸いにもわたくしの策を採用なされました。

今、天下が安定すると愛情によって太子を変えようとされています。

骨肉の愛に関しては、わたくし百人が口を挟んでもどうにもならないでしょう。」

呂釈之 「いえいえ。そう仰らずに、私の為に策を立ててください。」強引なヤツだ…

張良 「・・・・・・。

このことは、言葉で以って諌めても駄目でしょう。

現在、陛下の権力をもってしても招き寄せることのできない賢者が四人います。

その四人は老人ですが、陛下が礼儀を無視して人を馬鹿にするのを知っているので、

山中に逃げ隠れ節義を保って臣下とはなりません。

しかし、陛下はこの四人を尊敬しておられます。

今からあなたがこの四人のもとへ行き、金玉璧絹を惜しまれることなく贈り、

太子さまに謙虚なお言葉で書簡を書いていただき、座席のある馬車を用意して

雄弁の士を遣わして熱心に懇願すれば、きっと来てもらえるでしょう。

招くことに成功したならば、客人としてもてなし、常に太子のお供として随行してもらい、

陛下の目にとまるようにすればよいでしょう。

そうすれば陛下は驚き、必ず皇太子として認めるでしょう。」


こうして呂釈之は強引に張良に迫って打開策を立ててもらった。

呂后はこの策を聞くとさっそく息子に書簡を書かせ、それを呂釈之に持たせて

四人の隠者を迎えにいかせた。

四人がやってくると、丁重に迎え入れ、呂釈之の自宅に客人として住まわせた。


紀元前196年、黥布が叛いた。

劉邦は皇太子を替えるチャンスとばかりに、実戦経験のない皇太子盈を総大将に任命した。

討伐に失敗すれば、皇太子から引きずり下ろされるのは目に見えている。


この噂を聞きつけた四人の賢者は事の重大さに気付き、呂釈之に進言した。

「だいたい、ここへ来たのは太子さまの地位を保つためでありました。

今、太子さまが兵を率いられると状況は危険です。

功を立てても太子以上の地位は無く、功無く帰還すれば間違いなく災難を受けることとなります。

しかも、太子が率いる将軍達は、陛下と共に天下を平らげた猛将ばかりです。

これでは、羊に狼を指揮させるようなもの。誰も太子の為には働くことを承知しないでしょう。

また、母が愛されている場合、その子は抱いてもらえると言います。

戚夫人は日夜陛下のお側に侍り、趙王如意さまはいつも抱かれて御前におられます。

そして陛下は、『わしに似ぬ愚かな子は、かわいい子の上にはおかぬ』と仰られたそうです。

どう考えても、陛下は太子を廃するつもりです。

『黥布は天下の猛将で兵を用いるのが上手であり、また率いてゆく将軍達も陛下と同輩です。

黥布は太子が総大将と聞いたら、必ず陣太鼓を鳴らして西へ進撃するでしょう。

陛下はご病気ではありますが、無理して幌車に乗り寝ながら指揮なさってくださいませ。

将軍達はそれを見て力の限り戦うことでしょう。

陛下はお苦しいでしょうが、妻子の為にがんばってくださいませ。』

と陛下に述べられるよう、急いで呂后さまに進言してください。」


呂釈之は深夜であるのにもかかわらず呂后にこのことを伝えた。

呂后はこの策を聞くと、劉邦が閑な時を見つけて涙を流して意見した。四人の賢者の受け売りだが

劉邦は、結局自分が行かなくては黥布を討つことはできぬと思い、言った。

「わかったわかった。ワシとてあの小僧を行かせるのは無理かと思っていた。

ワシが自分で行くことにしよう。」


劉邦は自ら兵を率いて東へ向った。留守の臣下達は、覇上まで劉邦を見送った。

張良は体調が優れなかったが、無理に起き上がって、劉邦に目どおりして言った。



張良 「わたくしはお供するのが当然ですが、病気が酷く従軍できません。

楚の人間は勇敢で敏速です。楚兵と一時の勝敗を争ってはなりません。

また、陛下留守の間は太子を将軍とし、都の守備兵を取り仕切らせますように。」

劉邦 「うむ。

子房は病気ではあるが、無理して寝ながらでもよいから太子を助けてくれ。」


こうして、張良は太子少傅となった。

このときの太子太傅は叔孫通であり、太子劉盈は張良・叔孫通に守られた。


紀元前195年、劉邦は黥布を撃破して帰還した。

が、劉邦は負傷していた。張良が危惧していた通りの事態となった。

傷のせいもあるのか劉邦の病気は益々重くなり、本気で太子を替えようと考え出した。

太子少傅であった張良は、これを諌めたが聞き入れられず、病気を理由に職務を放棄した。

太子太傅の叔孫通は死を覚悟して極諌したが、駄目であった。



張良の『四人の賢者を招聘する』策は失敗したかにみえたが・・・


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