第十話:漢の定礎


紀元前201年正月、劉邦は功臣を王や侯に取り立てた。

張良には戦闘による功績がまったく無かったが、

劉邦は「はかりごとを本営の中でめぐらして、勝利を千里の外で決したのは、子房の功績である。」

と讃え、斉の地から好きな領地三万戸を選ばせようとした。

しかし、張良はこれを断った。

「はじめ、わたくしは下ひで兵をあげ、留で陛下とお会いしました。

陛下はわたくしの計略を採用してくださり、幸いにして計略があたることもありました。

ですから、わたくしは留の街一ついただけるだけで十分でございます。

三万戸をお受けすることは遠慮いたします。」

劉邦は、張良の意思が固いことを知り、無理強いしなかった。

張良の希望通り留侯に封じ、一万戸を与えた。これは蕭何らと同時に封じられており、

張良がまぎれもなく漢建国の大功臣であるという証明でもあった。


劉邦は功績の大きかった者二十人あまりを封じ終わったが、

まだ領地をもらっていない者は、少しでも多くの土地を貰おうとして日夜功績争いの論議をし、

彼らに封賞を行うことができずにいた。


あるとき、劉邦は将軍達が集まってなにやら密談しているのを見かけた。

劉邦は不安になり張良を振り返って言った。

劉邦 「彼らは何の話をしているのだ?」

張良 「陛下はご存知ないのですか?  あれは反乱を計画しているのですぞ。」

劉邦 「な、なにっ? 天下はやっと安定したばかりではないか。

それなのに、何故反乱を起そうとするのだ?」

張良 「陛下は平民より身を起され、あの連中を使って天下を取りました。

しかし実際に封賞されたのは、蕭何曹参ら旧知の親しみ愛していた人ばかりです。

一方、処罰したのはすべて以前から怨みに思っていた人ばかりです。

彼らは昔の傷を暴き立てられるのではないかと疑い、

処罰されるのではないかと恐れています。

だからこそ、集まって仲間と反乱を相談しているのです。」

劉邦 「・・・・・・。

どうしたらよいのだろう・・・」

張良 「陛下がいつも激しく憎んでいて、群臣もそれを知っている者は誰でしょうか。」

劉邦 「ああ、それは雍歯だ。あいつとは古い怨みがある。昔、ワシを辱めおった。

殺してやりたいのだが、功績が大きいので我慢しているのだ。」

張良 「では、今から急いで雍歯を取り立て、領地に封じるのがよいでしょう。

群臣は、あの雍歯でさえ封じられたのだから、と安心し反乱を起す気をなくすでしょう。」


そこで劉邦は酒宴を催し、その場で雍歯を什方侯に封じた。

そして、丞相と御史を叱って、急いで功績を決定し封賞するようにとせきたてた。

酒宴が終わると群臣はみな安心した様子で言った。

「あの雍歯でさえ侯となったんだ。我々のことは心配いらぬ。」


こうして、封賞は無事終わった。



群臣は東国出身者が多く、彼らは洛陽を都とするよう劉邦に勧めた。

しかし、婁敬という兵卒が謁見を求め、長安を都とするよう求めた。

劉邦が躊躇っていると張良が進み出て言った。

「確かに洛陽の土地は堅固で、頼むに足ります。

しかし洛陽の地は小さく数百里四方に過ぎず、土地は痩せ、

四方から敵を受ける格好になりますから、武力を用いるには充分ではありません。

しかし、関中はこう山・函谷関を東に抱え、肥沃な土地が四方千里、

南には巴蜀の豊かさがあり、北には胡・苑の利益がございます。

関中におれば、要害に拠って三方を守り、函谷関だけを開いて諸侯を圧倒できます。

また、長安から渭水・黄河を下って物資を輸送することもでき、

諸侯に変事があれば、軍需物資を速やかに輸送することも可能です。

これこそ金城千里、天の府といえる土地でしょう。

婁敬の進言は正しいかと思われます。」


これを聞くと、劉邦はその日のうちに西に向かい、長安を都とした。


このように張良の影響力は絶大であり、劉邦に完全に信頼されていたのである。



張良はもともと病弱であり、たびたび病臥した。

劉邦に従って長安に入ってからは、張良は道家の呼吸法を行い穀物を取らず、

体を軽くし仙人になって赤松子に従って遊ぶと称して、一年余り家に閉じこもっていた。


身に降りかかってくるくだらぬ煩わしい災いを避けた、とも言えようか・・・



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