第五話:罷免


張蒼が丞相になってから、田の租税廃止、肉刑の廃止など、後世に伝わる善政が行われた。

文帝の発案とされているが、張蒼らも絡んでいたに違いない。


文帝十四年、魯の公孫臣という者が上書して言った。

「五徳は循環してまた始まりに戻り、王朝にもそれぞれ五徳があり交代します。

よって現在は土徳にあたります。(張蒼は秦と同じ水徳とした)

土徳であることは、いずれ黄竜が現れることによって解ります。

今まさに暦・服・制を改める時なのです。」


文帝はこのことを張蒼に下げ渡し、協議させた。

張蒼はこの意見は正しくないとし、却下した。

翌年、黄竜が天水郡成紀県(現在の甘粛省)に現れた。

そこで文帝は公孫臣を召しだして博士とし、

土徳に基づいて暦・制を起草させ後元年(中国で初めての年号となる)とした。


張蒼は自ら卑下し、病と偽り、老いぼれたと自称した。

ちょうど張蒼が中候(賓客送迎役)に推挙した者が酷い不正を働いた。

文帝は張蒼を責め、遂に張蒼は病気ということで丞相を免ぜられた。


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