第三話:名宰相


北平侯に封ぜられた後、張蒼は計相に任じられた。約一ヶ月で主計と名称が改められた。

張蒼は秦代に柱下御史を勤めており、図書・財政帳簿に通じまた算・暦法や音律に詳しかった為、

列侯の身分のまま蕭何の下、丞相府で天下の郡県の年間収支を司らせた。

当時の公卿はみな軍吏であったからだ。

張蒼は主計の席に四年いた。


淮南王英布が反乱し滅びると、劉邦は末子の劉長を淮南王に封じ、張蒼を宰相とした。

十六年の後、再び中央に召され曹ちゅつに代わって御史大夫となった。

張蒼は周勃らと文帝を迎え入れ、文帝四年には灌嬰に代わって丞相となった。


張蒼は丞相の座に就くと主計の頃から行っていた漢の音律・暦法・算法の制定を推し進めた。

音律では、十二音律を決める笛を吹いて音楽を整え、宮・商・角・徴・羽の五音声に配当した。

さらに法律条例をこの音律になぞらえて定めた。

暦法では、劉邦が覇上に到着した十月を尊重し年初めを十月とし、

秦のせんぎょく暦を改正せずそのまま整備し、

五行の徳の運行を推し量り、漢は水徳に当たるとし秦と同じく黒色を尊重した。

算法では、度量衡の基準を定め、天下の規則となるものを作った。

度量衡の統一は始皇帝に次ぐものであったと思われる。


後世、漢の音・暦・算を学ぶものは皆、張蒼を拠り所としたのである。


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