劉邦らは蕭何の守る三秦へ退却し、そこで募兵して勢いを取り戻した。 ここで、なぜ項羽が全力をあげて劉邦を追撃しなかったか?という疑問が残る。 管理人が思うに、陳平の計略によって既に范増が死に、 鍾離眛・竜且ら有能な将軍も猜疑の目で見られ、やる気を無くしていたのではないだろうか。 だから項羽に献策する者がおらず、 見当違いな方向に軍を向け(劉邦が逃げ去った後、西進して彭越を討伐した)てしまい、 むざむざ天下を握る好機を逸してしまったのではないだろうか。 劉邦は三秦から周苛・樅公を救う為に出撃した。 袁生という食客が、 「南の武関から出て宛・葉で気勢をあげれば必ず項羽は 陽城の包囲を解いて宛を攻めに来るでしょう。 その間に御史大夫周苛らは軍を立て直すことができます。 その隙を狙って韓信に別働隊を授け趙・斉・燕の北方の地を切り取らせ漢王の支配下に置けば、 項羽は奔走し疲労し、漢軍は休息できます。陽城に行かれるのはそれからでも遅くはありません。」 と献策したため、劉邦はその計略に従って宛・葉に黥布とともに出撃した。 予想通り項羽は陽城を放り出して、宛を囲んだ。 そのとき、待ち構えていたかのように彭越が漢軍に呼応して 楚軍の項声・薛公を彭城の近くで撃破した。 項羽は宛の囲みも解き、彭越討伐に向かった。 劉邦は宛を脱出し、陽城の隣の成皋城に入った。 彭越を撃破した項羽は激しく両城を攻め、周苛・樅公を殺し、劉邦は夏侯嬰とたった二人で遁走した。 その後、韓信が集めた兵を殆んど奪い勢力を回復させた。 韓信は僅かな兵を率いて北方へ向かったが、奇功を立てて趙・代・斉を支配下に置いた。 韓信は趙・代・斉を破り、通の謀略を受け入れ斉王になって半独立しようとし、 劉邦のもとに使者を送ってきた。 劉邦は、項羽と対峙して守勢に立っていた時だったので怒り、その使者を怒鳴りつけた。 |
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劉邦 | 「今、漢軍は守勢に立ち非常に苦しい。韓信が来るのを今か今かと待っているのだ。 なのに、韓信は斉王になりたいとほざく。なんという恩知らずだ!」 |
これを聞いて、陳平と張良はお互いに目配せをし、劉邦の近くに近寄った。 ここで韓信を怒らせて独立させたら、漢軍など数日のうちに崩壊するからである。 |
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陳平・張良 | 「・・・・・・グニッ(劉邦の足を踏む)」 |
劉邦 | 「イタタタ!!お前達、何をするんだ。痛いではないか! 韓信のヤロウはな、故郷の淮陰では人の股をくぐるような男だったんだぞ。 それをワシが昇進させて、一躍大将にしてやったのだ。 それなのに独立して斉王になろうとほざきやがる。ゆるしておくべきか!!!」 |
陳平・張良 | 「(囁き声で)漢王さま、いま漢は不利な状況です。 韓信が斉王になるのを禁止なされたら、彼はきっと項羽と同盟を結ぶでしょう。 そうなったら漢は滅びます。 この機会を利用して韓信を斉王にしてやり、 自ら進んで斉の地を守らせないととんでもないことになりますぞ。」 |
劉邦 | 「(!!・・・そうだった。) おい!韓信の使者よ。韓信という立派な男が斉を平定したのだぞ。 真の王にならなくてどうする。代理の王などとケチ臭いことを言うな! 後で張良を斉に遣わして、斉王に任命するぞ。 このことを韓信に伝えよ。そして速やかに項羽を撃滅せよ!」 |
こうして、陳平・張良の機転によって韓信の離反は防がれた。 陳平は、この功績によって故郷の戸郷に領地を与えられた。 故郷に錦を飾ったのである。 そして、陳平ら知恵者の献策を上手く用いた劉邦は、韓信・彭越・黥布・周殷らと共に 垓下に項羽を囲み、遂に烏江で項羽を斬ったのである・・・ |