代都馬邑の名前の由来  〜干宝『捜神記』から〜



劉邦が項羽との争いに勝ち漢を建国した後、戦国韓王族の末裔・韓王信は代王に封じられます。

韓王信ははじめ晋陽を都としますが、匈奴の侵略を睨んで馬邑に遷都します。

馬邑は匈奴との国境に近く、いつ侵略されてもおかしくない位置にありました。

韓王信も匈奴の冒頓単于に包囲されて、馬邑に立て篭もっています。



この土地は秦の時代から匈奴の侵入に悩まされていて、

これを苦々しく思っていた秦政府は防衛の拠点として城を築こうとしました。

しかし足場が悪く、度々城は崩壊し完成することはありませんでした。

すると一匹の馬が走り出して、同じ所をぐるぐると走り回りました。

地元の物知り老人もこれを不思議がり、もしやと思い、馬の足跡に沿って城壁を築きました。

すると城は完成し、以後崩壊することはありませんでした。


この不思議な出来事にちなんで、この土地は馬邑と名付けられました。

四世紀の中頃まで、この馬邑の城址は残存していたようです。



『捜神記』での記載はたったこれだけですが、

この記事は『後漢書』志第二十三鴈門郡馬邑の項の注に採用され、

比較的信頼度の高いものとなっています。



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