始皇帝が死に、二世皇帝胡亥が即位した。 優旃は始皇帝に続いて二世皇帝にも仕えた。 二世は世間知らずな思想家で、その思想は自分の殻から出ることは決してなかった。 そして大悪党の宦官趙高に政治をすべて任せ、 自分は日夜女性と戯れ、酒宴を開き、堕落しきっていた。 優旃は二代続けて暴君に仕えることとなってしまった。 あるとき、くつろいだ席で二世胡亥が訳の分からぬ理想論を語りだし、それを実行しようとした。 群臣は常にこれに悩まされていた。 |
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胡亥 | 「朕は一天万乗の君である。しかしながら、その実がない。 だから朕は、万乗の君たるにふさわしい様々なものを整え、 我が尊号を充たしたいと思っている。 そこで都の咸陽の城壁全面に漆を塗り、我が威を示したいと思う。 どうだ?」 |
群臣 | 「・・・・・・・・・・・。御心のままに・・・・・・・・・。」 |
そんなとき、優旃が進み出て楽しげに言った。 |
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優旃 | 「はっはっは!!結構でございますな。 実は私も前々からそのことに気付き、お願いしようと思っていたところでした。 まぁ下民どもにしてみれば経費の負担が増え、欺かれたと思うでしょうが、 それでも咸陽が漆の城になると考えると、壮大でいいものですなぁ・・・。 そういえば、漆の壁はツルツルとしていますな。 もし賊どもが来ても、みな城壁を登れずツルツルと滑り落ちるでしょうな。 想像すると愉快ですな。はは! しかし、心配事が一つだけあります。 漆を塗る作業は、陛下のご威光をもってすればたやすくできましょうが、 塗った漆は陰干しして乾かさなければなりません。 雨が降ったりすればせっかくの漆塗りが台無しになりますぞ。 漆が乾くまで、咸陽城がすっぽり入る部屋を作らないとだめですな。 しかし、この部屋を作るのが難しいような気がします。」 |
二世はこれを聞いて笑い出した。 「ははは!お前は何て壮大なことを考えているのだ! 朕の及ぶところではない。 咸陽の城壁に漆を塗るのはやめにしたぞ。はは。」 こうして胡亥の無謀な計画は中止となった。 その後、胡亥は宦官趙高に誑かされ、群臣の前に出て姿を見せることは全くなくなった。 そして優旃が胡亥に会うことも無くなった。 ほどなくして二世皇帝胡亥は趙高に殺された。 趙高は胡亥の甥の子嬰を三世に立てたが、 三世子嬰は趙高を刺し殺し死体を車裂の刑に処し、趙高の父母兄弟妻子を皆殺しにした。 秦の宮廷は大混乱に陥り、 東からやって来る賊の劉邦と手を結ぼうと画策する者もあり、反対に抵抗論を唱える者もあり、 果てには反乱を起こそうと考える者もあった。 優旃は逃げた。 そして、名高い秦の芸人として劉邦の宮中に身を寄せることができた。 優旃は漢の宮中でも人々を笑いに引き込み、すべての人から愛され、 数年の後、安らかに亡くなった。 司馬遷は言う。 「世の中の凡俗さに流されず、権勢や利益を求めて争うこともなく、 上の者に対しても下の者に対しても頑なにこだわることもなく、 自分は誰からも害を受けない。 それは大いなる道の働きと似通っている。 なんとたいしたものではないか!」 |