景帝が即位すると、通はすぐに太中大夫を免職された。 通は自宅にひきこもり、一切の交際をしなかった。 しかし、通に怨みを持つ者は多い。景帝ですらそうであった。 まもなく、「通は鋳造した銅銭を密かに国外へ持ち出した。」と告訴する者が現れ、 通は投獄され尋問を受けた。 その間に証拠となる事実が見つけられ、徹底的に調査が行われた。 結局、通は全財産を没収された上に、政府に罰金として納める数億の債務を負った。 通いじめを見かねた長公主(景帝の姉。劉嫖のこと)が通に色々と贈り物をしたが、 役人はそのたびにすべてを没収した。 通は飯も食えず、かんざし一つも身につけられなかった。 可哀想に思った長公主は、「貸してやる」という名目で衣服や食物を与えた。 その後、通は銅銭一枚ですら自分のものだと主張することもできずに、 他人の家の居候となって死んだ。 管理人が思うに、彼の最期はましなほうである。 皇帝に愛された男や宦官は、だいたいその皇帝が死ぬと殺される。 司馬遷は言う。 「足以觀後人佞幸矣。雖百世可知也。」 佞(へつらい)で寵幸される臣の行く末は、見てとることができる。 たとえ百代のちの世でも、へつらいによって愛された臣の末路は予知できるのだ。 |
HOME |