『史記』貨殖列伝から抜粋

 老子曰、「至治之極、鄰國相望、kei狗之聲相聞、民各甘其食、美其服、安其俗、樂其業、至老死不相往來。」必用此為務、輓近世塗民耳目、則幾無行矣。

 老子の言葉に次のようなものがある。
「最もよく国が治まっていた時、隣国どうしは互いにすぐ見える処にありニワトリや犬の鳴き声が聞こえてくるほどであったが、それぞれの国民は自分たちの食事に満足し、衣服を心地よく感じ、生活はのんびりし、仕事を楽しみ、老いて死ぬまで隣国と行き来しようとしなかった。」
 だが、この言葉を実現しようとし、現代社会を原始社会に引き戻そうとして民の耳目を塞いでしまうことは、ほとんど実行不可能であろう。
 子貢既學於仲尼、退而仕於衞、廢著鬻財於曹、魯之閨A七十子之徒、賜最為饒益。原憲不厭糟kou、匿於窮巷。子貢結駟連騎、束帛之幣以聘享諸侯、所至、國君無不分庭與之抗禮。夫使孔子名布揚於天下者、子貢先後之也。此所謂得gei而益彰者乎。
 子貢は孔子について学んだ後、去って衛国で仕官したが、曹と魯の間で物資を買い込んだり売り出したりして大いに利を得た。孔子の弟子の中では彼が一番裕福であった。
 同門の原憲は酒かすやぬかでさえもまともに食べられずに貧民街に隠れ住んだのに対し、子貢は四頭立ての馬車に乗り騎馬の供を従え、絹の束を贈物として諸侯と交際し、どこの国王も彼を対等の礼で迎えた。
 孔子の名が天下に広まったのは、子貢が孔子に付き従っていたからであった。「勢力を得れば、ますます名声は高まる。」というよい例ではないか。
 
由此觀之、賢人深謀於廊廟、論議朝廷、守信死節隱居巖穴之士設為名高者安歸乎。歸於富厚也。是以廉吏久、久更富、廉賈歸富。富者、人之情性、所不學而倶欲者也。
 以上の点から考えてみると、朝廷に於いて深謀をめぐらし議論を戦わせる賢人、信義を重んじ節に死すような人、山の洞穴に住む隠者でさえ、名声を求めるならば結局は富み栄える者を頼るのだ。清廉な役人も長く勤めれば富み、真面目な商人も最後には財産をつくる。
 富を求めるのは人の本性であり、教えてもらわなくても誰もが欲するものなのである。
 故壯士在軍、攻城先登、陷陣卻敵、斬將搴旗、前蒙矢石、不避湯火之難者、為重賞使也。其在閭巷少年、攻剽椎埋、劫人作姦、掘冢鑄幣、任侠并兼、借交報仇、簒逐幽隱、不避法禁、走死地如gou者、其實皆為財用耳。今夫趙女鄭姫、設形容、kei鳴琴、揄長袂、躡利shi、目挑心招、出不遠千里、不擇老少者、奔富厚也。游閑公子、飾冠劍、連車騎、亦為富貴容也。
 ゆえに勇士が城攻めで一番乗りし、敵陣を陥落させて敵を撃退し将を斬り軍旗を奪い、矢弾を恐れずに突進し烈火の如く危険を恐れないのは、莫大な恩賞がそうさせるのだ。
 また裏街にいるような若者が、追いはぎや人殺しをし、脅迫して悪事を働き、墓を暴き貨幣を偽造したりするのも、みな金に目がくらんでのことである。
 侠客連中が勢力争いをし、友のためだと言っては仇討ちをし、人里離れた所で強盗を働き、法を恐れず命を落とすような場所に駆けつけるのは、やはり財物が目当てなのだ。
 趙や鄭の遊び女が、化粧をして琴をかき鳴らし、長い袂を翻し細い靴を履き、流し目を使って心を通わせようとし、遠くへ出かけていって相手の老若にかかわらず相手するのは、やはり金持ちへ靡いているからである。
 暇を持て余す貴公子たちが、美々しい冠や剣を身に着け馬車を連ねて遊ぶのは、やはり富貴を見せびらかしたいからである。
 弋射漁獵、犯晨夜、冒霜雪、馳kou谷、不避猛獸之害、為得味也。博戲馳逐、toukei走狗、作色相矜、必爭勝者、重失負也。醫方諸食技術之人、焦神極能、為重syo也。吏士舞文弄法、刻章偽書、不避刀鋸之誅者、沒於賂遺也。農工商賈畜長、固求富益貨也。此有知盡能索耳、終不餘力而讓財矣。
 猟師漁師が早朝から晩まで霜や雪を冒し山谷を駆け回り、禽獣の害を顧みないのも、旨い食を手に入れるためである。
 賭けに熱中し、闘鶏や犬競争で顔色を変えて自慢げになり必ず勝とうとするのは、負けた時の負債が怖いからである。
 医者や技術者も、集中し能力の限りを尽すのは報酬が欲しいからである。
 官吏が法をうまく操り、印や筆跡を真似て偽造まで行い、打ち首や鋸引きの極刑を恐れないのも賄賂に目がくらんでいるからである。
 このように農工商人・畜産業などに関係のない者ですら金のために動くのである。農工商人、畜産業者が金のために働いているのは当然ではないか。彼らは智恵と能力を限界まで使い尽し、みすみす他人に財を取られるような真似はしないのである。
激しく意訳です。誤訳などあるかと思います。そっと教えてください。

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