附記:周家、その後


周一族のその後について触れておこう。


殉職した周苛には遺児があり、名は成といった。

周成は父が殉職したことで高景侯に封じられた。列侯内での位次は六十番目だった。

しかし文帝の後元五年、謀反の罪で獄に下され死んだ。

高景侯は一代で断絶したものの、子孫は列侯として復活する。

周成の孫の周應は、景帝の中元年に繩侯に封じられた。

子の周平が継いだが、武帝の元狩四年に罪を得て繩侯は断絶した。

しかし、宣帝の元康四年に周成の玄孫の周賜が家名再興を許され、繩侯に封じられた。


周昌は汾陰侯であったが、封じられて十年で死んだ。

恵帝四年、子の周開方が継ぎ、十六年して死んだ。

文帝の五年、子の周意が継いだが、十三年後に罪を得て汾陰侯は断絶した。

しかし景帝中二年、周昌の孫にあたる周左車安陽侯に封じられ、列侯として家は残った。

武帝即位の建元元年、周左車は罪を得て列侯の位を取り上げられた。

が、宣帝の元康四年に周昌の曾孫にあたる周明が家名再興を許され安陽侯に封じられた。


周家略系図



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