第一話:秦の博士


薛という街は、戦国斉の王族・孟嘗君(田文のこと)が封じられた所である。

孟嘗君は客を好み、その数は数千人いたと言われている。

その数千人のなかの半分くらいは侠客やお尋ね者であり、その家は6万軒もあったという。


九十年もすると彼らの子孫が増え、薛の街は乱暴者だらけになった。

『史記』の著者司馬遷も若かりし頃、この街の乱暴者に酷い目に遭わされている。

そんな薛の街に、まだ主流となっていなかった儒学に打ち込む若い学生がいた。

彼の名は叔孫通(しゅくそんとう)

姓が叔孫で、名が通である。


彼の学問への情熱は凄まじく、古典を読み漁り、遂にこれを体得し、

近隣の街では学識で彼に比肩するものはいなくなった。

彼の名は瞬く間に四方に広まり、薛郡守の耳にまで届いた。

郡守は叔孫通を召し出し、語り合ってみると大いに感心し、

叔孫通が中央政府に入れるよう推挙してくれた。


叔孫通は博士候補者として秦宮廷に入り、

博士(礼儀宗廟を司る奉常の属官)として召し出される日を待ち続けた。

しかし、召し出されぬまま数年が経ち、始皇帝は死に二世胡亥が立った。


胡亥は始皇帝陵と阿房宮の造営を急ぎ、人民を酷使した上、

五万人の兵士を集めて辺境の守備につかせ、すべての人民から食糧を徴発した。

世の中には不安が広がり、誰もが心の中では秦を呪った。

そんな時、陳勝呉広が大規模な反乱を起し、あっという間に四方に勢力を広げ、

大都市である陳(淮陽)を攻め落とした。


二世胡亥はこの報を聞くと、宮中の学者・儒者を呼び出した。

呼び出された中に、叔孫通も入っていた。

胡亥は落ち着かぬ様子で学者達に質問した。


胡亥 「楚の蛮民が大沢郷で騒ぎ、陳へなだれ込んだという。

これをお前たちはどう考える。反乱か、ただの賊か。」

学者A 「臣下たるもの、反逆の意図さえ抱いてはなりませぬ。

意図した瞬間に、それは反逆となるのです。

蛮民どもを死刑に処して、赦してはなりません。

なにとぞ早急に兵を派遣して討伐なされるように。」

胡亥 「なにっ、あれを反逆と申すか!朕に反逆する者などいないはずじゃ!

それなのに何故反逆と決め付けるのだ?

お前たちの言っていることが理解できぬぞ!」


叔孫通は、胡亥が思想家であるとは知っていたが、表情の豹変ぶりを見て、

「こいつはまずい!我々は殺されるぞ。この男、自分に反逆する者が

存在したことに対して怒りを抱いている。私は使える主を間違えた。

反乱を起こした者を処罰するとか鎮圧するとか、それ以前の問題だ。

それよりも、このままでは私たちはみな妖言の罪で殺される。

胡亥の機嫌を直さねば危険だ・・・。」

と咄嗟に思い、進み出て発言した。


叔孫通 「みなさん方の意見はみな間違いです。

先帝は天下を合体させて一家の如くにし、

郡県の城壁は不必要となって壊され、兵器を集めて熔かし、

以後二度と用いる必要が無いことを天下に示されました。

その上、陛下は名君におわし、法令は下に完備して、

人民は各自の務めに励み、四方から入朝の車が殺到している有様です。

それなのに敢えて反逆を企てる者がどこにおりましょう。

楚の蛮民どもは、ただの盗人であり、ドブ鼠やノラ犬の輩です。

歯牙にかけるにも値しません。

そのうちに郡の役人達によって全員ひっ捕えられ、処刑されるでしょう。

陛下のお心を悩ませる問題ではありません。」

胡亥 「おお!もっともである。

朕に反逆する者なぞいないはずじゃ。

叔孫通、よく言った。」


二世胡亥は残りの学者達全員にも意見を聞いた。

反逆だと言う学者もいれば、ただの盗人・賊徒だという学者もいた。

胡亥は、「反逆だ」と認めた者を全員逮捕し投獄した。

「天子を謗る者は、まずその舌を断ち切る」という刑法があったので、

彼等のその後は語らずとも分かる。

一方、「あれは盗賊にすぎません。」と言った学者はそのまま退出させた。

そして叔孫通には帛(きぬ)20匹と衣服一揃えを与え、博士に任命した。


叔孫通が自分の宿舎に戻ると、一緒に退出してきた同僚に皮肉を言われた。


同僚 「君はよくもまぁ、あんなオベッカを言ったものだ。

笑ってしまうよ。」

叔孫通 「おや?あなた方は気付かなかったのですか。

あの時、一つ間違えれば我々の命は無かったのですぞ。

おやおや、鈍感な方々だ。」



そして、叔孫通は急いで荷物をまとめて逃亡し、郷里の薛に向かった。

彼は、もう秦帝国は終わったと知っていたのである・・・



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