薛という街は、戦国斉の王族・孟嘗君(田文のこと)が封じられた所である。 孟嘗君は客を好み、その数は数千人いたと言われている。 その数千人のなかの半分くらいは侠客やお尋ね者であり、その家は6万軒もあったという。 九十年もすると彼らの子孫が増え、薛の街は乱暴者だらけになった。 『史記』の著者司馬遷も若かりし頃、この街の乱暴者に酷い目に遭わされている。 そんな薛の街に、まだ主流となっていなかった儒学に打ち込む若い学生がいた。 彼の名は叔孫通(しゅくそんとう)。 姓が叔孫で、名が通である。 彼の学問への情熱は凄まじく、古典を読み漁り、遂にこれを体得し、 近隣の街では学識で彼に比肩するものはいなくなった。 彼の名は瞬く間に四方に広まり、薛郡守の耳にまで届いた。 郡守は叔孫通を召し出し、語り合ってみると大いに感心し、 叔孫通が中央政府に入れるよう推挙してくれた。 叔孫通は博士候補者として秦宮廷に入り、 博士(礼儀宗廟を司る奉常の属官)として召し出される日を待ち続けた。 しかし、召し出されぬまま数年が経ち、始皇帝は死に二世胡亥が立った。 胡亥は始皇帝陵と阿房宮の造営を急ぎ、人民を酷使した上、 五万人の兵士を集めて辺境の守備につかせ、すべての人民から食糧を徴発した。 世の中には不安が広がり、誰もが心の中では秦を呪った。 そんな時、陳勝呉広が大規模な反乱を起し、あっという間に四方に勢力を広げ、 大都市である陳(淮陽)を攻め落とした。 二世胡亥はこの報を聞くと、宮中の学者・儒者を呼び出した。 呼び出された中に、叔孫通も入っていた。 胡亥は落ち着かぬ様子で学者達に質問した。 |
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胡亥 | 「楚の蛮民が大沢郷で騒ぎ、陳へなだれ込んだという。 これをお前たちはどう考える。反乱か、ただの賊か。」 |
学者A | 「臣下たるもの、反逆の意図さえ抱いてはなりませぬ。 意図した瞬間に、それは反逆となるのです。 蛮民どもを死刑に処して、赦してはなりません。 なにとぞ早急に兵を派遣して討伐なされるように。」 |
胡亥 | 「なにっ、あれを反逆と申すか!朕に反逆する者などいないはずじゃ! それなのに何故反逆と決め付けるのだ? お前たちの言っていることが理解できぬぞ!」 |
叔孫通は、胡亥が思想家であるとは知っていたが、表情の豹変ぶりを見て、 「こいつはまずい!我々は殺されるぞ。この男、自分に反逆する者が 存在したことに対して怒りを抱いている。私は使える主を間違えた。 反乱を起こした者を処罰するとか鎮圧するとか、それ以前の問題だ。 それよりも、このままでは私たちはみな妖言の罪で殺される。 胡亥の機嫌を直さねば危険だ・・・。」 と咄嗟に思い、進み出て発言した。 |
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叔孫通 | 「みなさん方の意見はみな間違いです。 先帝は天下を合体させて一家の如くにし、 郡県の城壁は不必要となって壊され、兵器を集めて熔かし、 以後二度と用いる必要が無いことを天下に示されました。 その上、陛下は名君におわし、法令は下に完備して、 人民は各自の務めに励み、四方から入朝の車が殺到している有様です。 それなのに敢えて反逆を企てる者がどこにおりましょう。 楚の蛮民どもは、ただの盗人であり、ドブ鼠やノラ犬の輩です。 歯牙にかけるにも値しません。 そのうちに郡の役人達によって全員ひっ捕えられ、処刑されるでしょう。 陛下のお心を悩ませる問題ではありません。」 |
胡亥 | 「おお!もっともである。 朕に反逆する者なぞいないはずじゃ。 叔孫通、よく言った。」 |
二世胡亥は残りの学者達全員にも意見を聞いた。 反逆だと言う学者もいれば、ただの盗人・賊徒だという学者もいた。 胡亥は、「反逆だ」と認めた者を全員逮捕し投獄した。 「天子を謗る者は、まずその舌を断ち切る」という刑法があったので、 彼等のその後は語らずとも分かる。 一方、「あれは盗賊にすぎません。」と言った学者はそのまま退出させた。 そして叔孫通には帛(きぬ)20匹と衣服一揃えを与え、博士に任命した。 叔孫通が自分の宿舎に戻ると、一緒に退出してきた同僚に皮肉を言われた。 |
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同僚 | 「君はよくもまぁ、あんなオベッカを言ったものだ。 笑ってしまうよ。」 |
叔孫通 | 「おや?あなた方は気付かなかったのですか。 あの時、一つ間違えれば我々の命は無かったのですぞ。 おやおや、鈍感な方々だ。」 |
そして、叔孫通は急いで荷物をまとめて逃亡し、郷里の薛に向かった。 彼は、もう秦帝国は終わったと知っていたのである・・・ |