第五話:その後


燕王劉沢は死んで敬王と諡された。

子の嘉が継ぎ、九年してこの世を去り康王と諡された。

景帝六年、嘉の子定国があとを継いだ。


定国は父の妻妾と姦淫し、男子を一人生ませ、実弟の妻を奪って妾とした。

さらに、自分の娘三人と姦淫した。

遼西郡(遼東湾一帯)肥如県の県令郢人は定国の行いを朝廷に密告したが、

定国は謁者に頼み、郢人を捕らえて撲殺した。

武帝元朔年間、郢人の兄弟が上書して定国の行状を暴いた。

朝廷では、「定国の行いは禽獣に等しく、人倫を乱し、その罪は誅殺に値する。」

と判断し、武帝がそれを裁可した。

定国は自殺し、国は除かれた。

劉沢から三代、四十二年で燕国は断絶した。


哀帝のとき、劉沢の玄孫の孫の劉帰生を営陵侯に封じて家を再興させたが、

更始年間(王莽と光武帝秀の間)、乱に遭って殺された。


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