燕王劉沢は死んで敬王と諡された。 子の嘉が継ぎ、九年してこの世を去り康王と諡された。 景帝六年、嘉の子定国があとを継いだ。 定国は父の妻妾と姦淫し、男子を一人生ませ、実弟の妻を奪って妾とした。 さらに、自分の娘三人と姦淫した。 遼西郡(遼東湾一帯)肥如県の県令郢人は定国の行いを朝廷に密告したが、 定国は謁者に頼み、郢人を捕らえて撲殺した。 武帝元朔年間、郢人の兄弟が上書して定国の行状を暴いた。 朝廷では、「定国の行いは禽獣に等しく、人倫を乱し、その罪は誅殺に値する。」 と判断し、武帝がそれを裁可した。 定国は自殺し、国は除かれた。 劉沢から三代、四十二年で燕国は断絶した。 哀帝のとき、劉沢の玄孫の孫の劉帰生を営陵侯に封じて家を再興させたが、 更始年間(王莽と光武帝秀の間)、乱に遭って殺された。 |