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附記:盧綰の妻 |
盧綰は死の床で、 「呂后さまとお前は平民の時からの旧知の仲だ。お前は必ずゆるしてもらえる。 わしにつき従ってお前も蛮地まで来てしまったが、わしが死んだら漢に戻れ。 いままでよくわしにつき従ってくれた。」と遺言を残した。 盧綰の妻は密かに逃亡の機会を探していたが、 体調を崩してしまいなかなか逃亡の機会に恵まれなかった。 しかし数年後、彼女は病躯をおして逃げ漢に投降した。 そのためか体調がすぐれず、長安まで行くことは出来ず燕で呂后と会見することとなった。 そのころ呂后も病床にあった。 呂后は久しぶりに旧友と会うことを楽しみにしていた。 盧綰の妻のために宴席を設けてそこで歓談しようと思っていた。 しかし、呂后は快復せずに没してしまった。 同じ頃、盧綰の妻も燕で亡くなった。 彼女も呂后と会うことを楽しみにしていたが、叶わなかった。 盧綰夫婦はそろって叶わぬ思いを抱いて死んでいった。 なんと悲しいはなしだろう・・・ 司馬遷は『史記』を書くとき、なぜ韓王信と盧綰の伝を一緒にし、 「韓信・盧綰列伝」としたかが判ったような気がする。 彼ら二人は、共に叶わぬ思いを抱き死んでいったからである。 司馬遷は彼等の悲運に深い同情と敬意を寄せ、 盧綰と韓王信の合伝としたのではないだろうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 盧綰の孫の盧他之は盧綰のあとを継いで匈奴の東胡王であったが、 景帝の時代に漢に投降し、亜谷侯に封ぜられた。 その後、曾孫まで亜谷侯の爵位を伝えたが、 罪があって爵位と領地は取り上げられ、盧氏の亜谷侯は断絶した。 |