陸賈は『史記』『漢書』共に伝が立てられているにもかかわらず、 楚の人である、としか書かれておらず出身県は不明である。 楚の出身であるのに項羽に仕えず劉邦に仕えたが、その経緯もまったく不明である。 『新唐書』卷七十三下 表第十三下 宰相世系三下によると、 『三国志』に登場する陸遜の一族らしいのだが胡散臭い。 陸賈は弁舌に優れ天下にその名が喧伝されており、劉邦の賓客として迎えられた。 常に左右に侍り、諸侯への使者となった。 初めに『史記』に陸賈の名が現れるのは秦の二世胡亥の死後、 劉邦が武関を突破し首都咸陽に迫る嶢関に達したときである。 |