安定皇甫規妻者、不知何氏女也。規初喪室家、後更娶之。 妻善屬文、能草書、時為規荅書記、衆人怪其工。 安定郡の人、皇甫規(字は威明。兄皇甫節の子が皇甫嵩。)の妻は、どこの家の出か判らない。皇甫規は最初に娶った妻に先立たれ、後妻に迎えたのが彼女である。 及規卒時、妻年猶盛、而容色美。 後董卓為相國、承其名、娉以 ![]() 皇甫規が亡くなった時、妻はまだ年若く、容姿は美しかった。その後、董卓が相国となると、董卓はその評判を聞き及び、二頭立ての幌馬車100台・馬20匹、奴婢・銭・絹を路に溢れるほど贈り、妾にしようとした。 妻乃輕服詣卓門、跪自陳請、辭甚酸愴。 卓使傅奴侍者悉拔刀圍之、而謂曰 「孤之威教、欲令四海風靡、何有不行於一婦人乎!」 妻は普段着のまま董卓の屋敷の門まで来て、跪いて許しを乞うた。その口上は哀れで痛ましかった。 妻知不免、乃立罵卓曰 「君羌胡之種、毒害天下猶未足邪!妾之先人、清コ奕世。 皇甫氏文武上才、為漢忠臣。君親非其趣使走吏乎?敢欲行非禮於爾君夫人邪!」 妻は逃れられぬと悟ると、すっくと立って董卓を罵った。 卓乃引車庭中、以其頭縣 ![]() 後人圖畫、號曰「禮宗」云。 董卓は車を庭に引き入れ、妻の首をくびきから吊るし、むちと棒でかわるがわる撲った。 |
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