第十話:高漸離


秦王は事件後しばらく機嫌が悪かったが、やがて賞罰の評定をした。

賞を受けた者、罰を受けた者もいた。夏無且には黄金二百溢を与え、言った。

「無且はわしを気遣ってくれているのだな。荊軻に薬嚢を投げつけてくれたからな。」

そして秦王は軍隊を動員し、王翦に率いさせた。

王翦は李信とともに燕を攻め、十ヶ月して燕の都薊を落とした。

燕王喜・太子丹らは遼東に逃げた。

燕王は太子丹を殺し、首を秦軍へ送り和睦を求めたが、

秦はさらに軍を進めて攻撃し、五年後に燕王喜は虜となった。

翌年、秦王は始皇帝として天下に君臨した。

始皇帝は太子丹や荊軻の一味を逮捕しようとしたが、皆逃亡し捕えることができなかった。


荊軻の親友高漸離は姓名を変え鉅鹿の宋子というところに隠れ、下男となって何年も働いていた。

高漸離は仕事に疲れ手を休めたとき、主人の家で客が筑を打っているのを耳にした。

彼はその場を行ったり来たりして、音が聞こえてくると、「あれは上手い。しかしこれは下手である。」

と小声で評論した。これを聞いた主人の召使が主人に告げた。

「あの下男、なんと音楽のことが解るようで、良い悪いと独り言を言っております。」

主人は面白く思い高漸離を呼び寄せ、目の前で筑を打たせた。

座中の人々はあまりの腕前にびっくりし、みな賞賛し酒を勧めた。

高漸離は「人目を恐れ、このような貧しい生活がいつまで続くのか。」とつくづく考えていたので、

一旦座を下がり隠しておいた荷物の中から筑と立派な衣装を取り出し、姿を改めて座に進み出た。

座にいた客はみな驚き自分の座を外して対等の挨拶を交わし、彼を上客の座にすえた。

彼は筑を打ち歌ったが、涙ながらに辞去しない客はいなかった。

やがて高漸離の名は宋子で有名となり、宋子の豪族は次々と彼を客とした。

その噂は始皇帝の耳に達し、始皇帝は高漸離を召し出すことにした。


高漸離が始皇帝の前まで来ると、お付の者で高漸離の顔を知っている者が、

「荊軻の一味の高漸離でございますぞ。」と告げた。

始皇帝は彼の腕前が惜しく殺すに忍びなかった。そこで両目をつぶした。

始皇帝は度々高漸離を呼び寄せ筑を打たせたが、賞賛しないことはなかった。

こうして少しずつ彼を側に近づけるようになった。

高漸離はあらかじめ筑の中に重い鉛を仕込んでおき、

召されたときに始皇帝の頭上に振りあげて殴りかかった。

しかし盲目の身。始皇帝には当らなかった。

始皇帝は激怒し高漸離を処刑し、死ぬまで諸侯の配下だった者を近づけなかった。


太子丹の企みで田光と樊於期が自殺し、荊軻は斬り死にし、太子丹も死に、

荊軻の仇をとろうとした高漸離も殺された。

悲しい話であるが、司馬遷は一切の評論を省いている。

唯一残した言葉は次のとおりである。

「此其義或成或不成、然其立意較然、不欺其志、名垂後世、豈妄也哉。」

「その義を成し遂げた者も、そうでない者もいた。しかしその心は明白であり、

己の志に背くことはなかった。名声が後世にまで及んだのは、決していわれなきことではないのだ。」


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