第四話:宣曲任氏


宣曲というのは宮殿名で、長安付近の昆明池の西にあったと伝えられる。

宣曲という地名は『漢書』地理志には記載がないので、詳細な場所までは特定できない。


その宣曲というところに、任氏という豪商がいた。

任氏の先祖は秦の倉庫管理人をしていたが、三代で秦が滅んだために

倉庫の中にあった穀物は所有者不明となった。

この混乱に乗じて、土地の顔役や親分達は争って黄金・硬玉を略奪したが、

任氏だけは倉庫の中にあった穀物を穴倉へ隠した。(これを横領…という)


しばらくすると、項羽と劉邦が頭角を現し、両者はけい陽で長々と対峙した。

そのため、けい陽付近の農民たちは耕作ができず、また項羽軍が略奪をする為に、

米の値段が一石一万文にもなった。

結局、顔役や親分達が略奪した黄金・硬玉は、米と交換され任氏の懐へ入った。

これが任氏が富み栄える手始めとなった。


現代でも金持ちになると贅沢を競う醜い姿を見ることが多いが、任氏は違った。

任氏は見栄をはらずに倹約し、農業と牧畜にいそしんだ。

畑や家畜を買う際にも上質なものだけを選び、安くて質の悪いものは選ばなかった。


任氏は富み栄えること数代であったが、それは初代が定めた掟のお蔭であった。

掟では、農業・牧畜から得られるもの以外のものを衣食に費やしてはならず、

政府に租税を納めるまでは、任家の者は酒を飲み肉を食べてはならなかった。

そして、この掟はいつしか村一体の基準となった。

このため任氏は漢の皇帝にも尊敬された。


富があっただけではいけない、という善い例である。


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