第一話:販繒者



灌嬰は秦のとうすい陽県の出身で、絹商人であった。

『中国歴史地図集』によるとすい陽はとう郡の郡都であり、古の宋国であった。

宋国は殷の暴君紂王の兄の微子啓が始祖で、殷の遺民を治めた。

宋国は秦が天下統一する六十余年前に滅びた。

灌嬰が商売をしていた頃は、宋滅亡を知る古老がいたであろう。


灌嬰は劉邦が挙兵した時からの部下ではなく、配下になるまでの経歴は不明である。

項梁が戦死した時、楚軍が動揺したため一旦彭城周辺に集結し楚懐王を中心に善後策を練った。

協議の結果、項羽を魯公・長安侯とし趙救援に、劉邦をとう郡の長・武安侯とし関中へ進撃させた。

劉邦はとう郡の兵を率い遥か咸陽へ向かうのだが、その時新たに加わった人材の中に灌嬰がいた。

灌嬰は抜擢され中涓(王の左右に侍る。中謁者にあたるか)となり、劉邦に従って戦った。



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