願請骸骨歸

第六話：願請骸骨歸項羽は西楚の覇王となり、彭城へ帰った。帰途、邪魔な存在であった義帝を暗殺すべく黥布らに密命をだした。黥布らは長江上で義帝を殺した。天下は大混乱に陥った。燕王臧荼は遼東王韓広を殺し、田栄は斉を占領し叛旗を翻し、陳余は常山王張耳を追い出した。漢王劉邦も漢中から這い出し、三秦の王を捕虜にし、韓も併合した。先ず項羽は斉討伐に向ったが九江王黥布は仮病を理由に出陣しなかった。項羽はこれを怨んだ。項羽は斉で城郭家屋を焼き払い、降伏した兵をみな生き埋めにし老人婦女を捕虜とした為、項羽に対する敵愾心が高まり、田横の下に数万人が集まり再び叛旗を翻した。項羽はこれを降すことができなかった。項羽が斉で釘付けにされている間に、劉邦は項羽の本拠地彭城を衝いた。しかし劉邦は項羽の電光石火の用兵に大敗し遁走、太公と呂后が捕虜となった。項羽は勝ちに乗じて劉邦の籠る陽に至り、これを激しく包囲し、生命線である甬道（城外の貯蔵庫から城内へ食料を運ぶ為に造られた両側に壁のある道）を攻撃し、食料を奪った。劉邦は恐れて和睦を乞い、陽を境に天下を二分しようと持ちかけた。項羽は和睦を聞き入れてやろうとしたが、范増がこれを諌めた。
范増	「現在漢軍は衰弱しており、くみしやすい相手なのです。今のうちに滅ぼしておかなければ、必ずや後々後悔することになりますぞ。」
項羽	「亜父の言うこと、最もである。包囲を厳重にして劉邦を滅ぼす。」
こうして項羽・范増指揮の下、陽攻撃は激しさを増した。劉邦軍は瀕死であった。劉邦は陳平とこの事態打開策を練った。陳平は、項羽の下には范増・鍾離眛・竜且・周殷ら数人しか有能な将がいないことを見抜いており、楚軍中に金を持たせた間者を放ち、猜疑心を掻き立てて君臣の間を裂こうと画策した。項羽は案の定、鍾離眛らを疑い信用しなくなった。しかし范増だけは疑わなかった。「父に亜ぐ者」とまで呼び、全幅の信頼を置いていたからである。しかし、陳平の計は巧妙だった。項羽からの使者が来ると、太牢（牛羊豚の入った最高の料理）のご馳走を作り、大鍋やまないたを持ち出し即興で料理を作らせ、使者をもてなした。劉邦はあとから出てきて、使者の顔を見た途端驚愕し、「亜父殿からの使者かと思ったら、項王からの使者であったか。」と言い、太牢を下げさせ粗末な食事に取り替え、使者に勧めた。使者は楚陣へ帰ると、項羽に一部始終を報告した。子供騙しのような策であったが、項羽は范増を深く疑った。陽城はあと数回急襲すれば落とせると感じた范増は、項羽に急襲を進言した。が、聞き入れられなかった。陽を落し劉邦を斬れば項羽の天下である。なぜ攻撃を躊躇うのか。范増は不思議に思ったであろう。同時に鍾離眛らが疑われて用いられなくなったことが頭によぎり、もしや自分までもが疑われているのかと考えたにちがいない。この予感は、項羽が范増の権限を取り上げたことで確信に変わった。范増が項羽の身辺を探ってみると、やはり想像通りであった。范増は激怒した。項梁に仕えて楚を盛りたて、項梁死後項羽を一人前にしたのは誰だと思っているのか。忠誠無比、楚の天下を誰よりも夢見て項羽を必死に支えてきたのは誰だと思っているのか。范増は無念で堪らなかった。范増は項羽に目通りし別れの挨拶をした。「天下の形勢は既に定まりました。あとは項王、自らおやりください。臣は骸骨を請い（辞職するの意）民となって帰郷することをお許しください。」項羽はその場で許可した。范増はこの一つ返事に怒り心頭に達したであろう。范増は陽を出て彭城に辿り着く前に、背中に疽（骨に付く悪性腫物か）ができて死んだ。范増の亡骸は故郷居巣に運ばれ、城郭の東に葬られたという。後世、范増の志を憐れみ、居巣では范増を祀り祠を作ったという。五世紀に至っても祭祀は続いていたと『史記集解』は伝える。

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第六話：願請骸骨歸