管理人愚考
薄姫の生涯を考えるとき、管理人はいつもパール・バックを思い出す。
パール・バックは”The Child who never
Grew”(邦名『母よ嘆くなかれ』1950年出版)で言っている。
「悲しみには和らげることのできる悲しみと、和らげることのできない悲しみという根本的に異なった二つの種類があるのです。
和らげることのできる悲しみというものは生活によって助けられ、癒すことのできる悲しみですが、
和らげることのできない悲しみは、生活をも変化させ悲しみ自身が生活になってしまうような悲しみなのです。
私の胸をついて出た最初の叫びは、「どうして私はこんな目に遭わなくてはならないのだろう」という、
避けることのできない悲しみを前にしてすべての人びとが昔から幾度となく口にしてきたあの叫び声、
そうです、あの同じ叫び声でした。」と。
薄姫も、「なぜ私だけが・・・」という絶望の底で生きてきた。
しかし、薄姫は自分の不運を悲しむことだけでは何も始まらないと観念し、
総ての運命を受け入れた。そして運命が開けた。
パール・バックも同じことを言っている。
「(どうして私はこんな目に遭わなくてはならないのだろう)という疑問に、
何の答えも決して出てくるはずがないと最後に私が悟ったときに、
私の心は意味の無いものから意味を創り出そうという決心になり、
そして、それがたとえ自製の答であっても何かの答を出そうという心に変わりました。」と。
どんな悲しみもいつかは終わり、その悲しみは明日への糧となって自分を支える。
薄姫は我々にその事実を教えてくれている。
今回歴史に埋もれかかった薄姫の生涯を追ってみて、
管理人は若輩かつ部外者ながらも、彼女のささやかな生き方に尊敬の念を抱き、
敬意を表したい。(ナニヲえらそうに言ってんだか^^;;)