『史記』列伝は、伯夷列伝が冒頭に来ています。この伝の「太史公曰く」で始まる司馬遷の言葉には、
何故自分の全生涯を賭けて歴史書を書いたのか、その目的と、
迷い、悩み、あらゆる苦難・危機を乗り越えてきた司馬遷の本心が滲み出ています。
今回、その司馬遷の金言に動かされ、以下に原文の抜粋と意訳を載せます。


若至近世、操行不軌、專犯忌諱、而終身逸樂、富厚累世不絶。或擇地而蹈之、時然後出言、行不由徑、非公正不發憤、而遇禍災者、不可勝數也。余甚惑焉、儻所謂天道、是邪非邪?
 時代が下るにつれて、人々の操行は無軌道を極め、どんなに忌み憚る残酷なことでも平気でする悪人が出てきたが、そういう輩に限って死ぬまで人生の楽しみを享受し、その子孫は残された財産のお蔭で何代も安楽に暮らして子孫も絶えない。
その一方で、踏む地を選び、機会を考えてのちに発言し、抜け道を使わずに大道を行き、正しきことのみ憤る、そういった人々で災いに遭った者の数は数え切れない。
私は甚だ当惑するのである。天道といわれるものは、正しいのか。それとも正しくないのか。
子曰「道不同不相為謀」、亦各從其志也。故曰「富貴如可求、雖執鞭之士、吾亦為之。如不可求、從吾所好」。「歳寒、然後知松柏之後凋」。舉世混濁、清士乃見。豈以其重若彼、其輕若此哉?
 孔子さまは言われた。「主義主張や理想の違う者達の間で論争しても意味が無い」と。それぞれ自分の志に従って行動するほかないのだ。また孔子さまはこうも言われた。「もし富や名声が努力で得られるものであったならば、私は卑しい下男の仕事でもやっていたかもしれない。しかし、どうやら富や名声は努力では得られぬようである。ならば私は自分の好むところの仕事をして生涯を終えようと思う」と。またこうも言われた。「寒い季節がやって来ると、木の葉はみな枯れ落ちてしまうが、松と柏の葉だけは常緑を保っていることに気がつく」と。
世の中がすべて濁りきってしまうと、逆に清廉潔白の士が光りだすと言う。それなのに、富や名声を抱える者だけが重んじられ、富貴でない者がこれほどまでに軽んぜられるのである。本当にこれでよいのだろうか。
「君子疾沒世而名不稱焉。」賈子曰「貪夫徇財、烈士徇名、夸者死權、衆庶馮生。」「同明相照、同類相求。雲從龍、風從虎、聖人作而萬物覩。」
 『論語』では「君子は、死んだ後自分の名前が忘れられはしまいか気にかける」といい、賈誼は「利を貪る者は金に殉じ、烈士は名に殉じる。驕り昂ぶる者は権力に死し、凡人は生を貪る」と言う。『易経』の言うように、「明を同じゅうすれば相照らし、類を同じゅうすれば相求む。雲が龍に従い風が虎に従うように、聖人が立つと真理が照らされ、軽んぜられた人々もみな光を浴びる」のである。
伯夷、叔齊雖賢、得夫子而名益彰。顏淵雖篤學、附驥尾而行益顯。巖穴之士、趣舍有時若此、類名堙滅而不稱、悲夫!閭巷之人、欲砥行立名者、非附青雲之士、惡能施于後世哉?
 伯夷と叔斉は賢者であったけれども、孔子さまが彼らの行いを讃えたために、餓死したのにもかかわらず彼らの名前は知れ渡った。顔淵は孝行者で学問熱心な人であったが、ハエが名馬の尾にくっつくが如く、孔子さまのような偉大な人にくっついていたからこそ、その名は一層世間に知られたのである。
世の片隅で名が埋もれた賢者も、その名が世に知れ渡るか、そうでないかは時運によって異なるのだ。こういう隠れた賢者の行いが、埋もれて世に出ないことがどれだけあっただろうか。悲しいことだ。
どれだけ行いを磨いて名を立てようとしても、高貴な人に取り縋らない限り、農村に居る賢者は名を残せないのだろうか。いや、そんなことはないのだよ。

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