第五話:虞氏春秋


趙王は魏斉が自刎したと聞くと、その首を秦へ送った。

平原君は趙へ帰された。


虞卿は困窮幽愁し、心が晴れぬまま書を著した。

古くは『春秋』から近くは近世までを取材し、「節義・称号・揣摩・政謀」を八篇に著した。
(揣摩とは、推測の意)

国家の得失・存亡を憚る所無く論じ、世に伝えて『虞氏春秋』と呼ぶ。

漢書芸文志には、春秋に『春秋虞氏微伝』二編、儒家に『虞氏春秋』十五編が記載されており、

名著であったことが伺える。

残念なことに現在亡逸しているが、『史記』で一部参考にされていると思われる。


司馬遷は共感を込めて言う。

「虞卿料事揣情、為趙畫策、何其工也!
虞卿は情勢を判断し、趙の為に立てた策は見事であった。

及不忍魏齊、卒困於大梁、庸夫且知其不可、況賢人乎?
魏斉が困難に陥っているのを見かねて、大梁で困窮した。
凡夫でも魏斉を救えぬのは解る。虞卿ほどの賢人がそれを知らぬはずがない。


然虞卿非窮愁、亦不能著書以自見於後世云。」
しかし、虞卿は困窮憂愁の境遇に陥らなければ、書を著し己の心を後世に見せることは無かったであろう。


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