紀元前178年、陳平が亡くなった。 曲逆侯の爵位は息子の陳買が受け継いだ。 陳買は二年して死に、子の陳恢があとを継いだ。 23年して死に、子の陳何があとを継いだ。 23年後に人妻を奪ったことが明るみに出て、陳何は死刑の上にさらし者された。 陳平から代々続いた曲逆侯の領国と爵位は没収された。 陳平の曾孫にあたる陳掌は、衛青の姉の衛少児と古くから密通していた。 また衛少児は霍仲孺という男とも密通しており、霍去病を産んだ。 衛少児の妹の衛子夫が武帝の皇后になり衛一族が栄達したとき、 陳掌は召し出されて・事(せんじ:皇后皇太子の家を管理する官)に任命され、 衛少児と正式に結婚し、霍去病の義理の父となった。 『史記』を見る限りでは、陳平のアヤシイ遺伝子(^^;;)は間違いなく受け継がれていたようである。 |