第六話:その後


建陵哀侯衛綰の後は、息子の衛信が継いだ。

十八年の後、元鼎五年に酎金(上納する黄金)の質が問われた時に

品質や量に問題があり他の諸侯と共に侯国を没収された。


背景には南越・匈奴討伐の費用捻出があったと思われる。

この時、酎金の問題で侯位を失ったのは百余人という。

高祖の功臣の子孫でも容赦はなかった。

むしろ高祖の頃からの侯国は文帝の安定期を経て富み栄え、

没収の格好の対象となったに違いない。


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