第六話:堂邑侯その後


陳嬰が死ぬと、子の陳祿があとを継いだ。十八年して死に、共侯とおくりなされた。

陳祿の子、陳午があとを継いだ。


陳午は景帝の姉・館陶公主を娶った。館陶公主は権力者であり、武帝が帝位につけたのも

彼女のおかげであった。

陳午と館陶公主の間に娘が生まれ(陳嬰の曾孫にあたる)、従兄弟である武帝へ嫁いだ。

この陳皇后は武帝の寵愛を欲しいままにし驕り昂ぶった。

十年を過ぎても子どもができなかった為、武帝は衛氏を寵愛した。

陳皇后は嫉妬して衛氏の弟・衛青を誘拐しようしたり、あげくのはてに衛氏を呪い殺そうとした。

事は発覚し、皇后を廃され長門宮というところに押し込められた。


陳午と館陶公主の間には他にも二人の男子が生れた。

兄は須、弟は融といった。

陳午は堂邑侯を継いでから四十八年して亡くなった。

堂邑侯は兄の陳須が継いだ。弟の陳融は別に一万五千戸を有する隆慮侯に封じられていた。

陳午が死んだあと館陶公主は董偃という男と密通したが、十余年して死んだ。

母が死んだというのに、陳須・陳融の兄弟は相続する財産で争い、

さらには喪中に女と交わった罪で死罪となり、兄弟は自殺した。数年後、陳皇后もひっそりと死んだ。

ここに陳嬰から続いた堂邑侯は断絶した。


後に宣帝の元康四年、陳嬰から数えて六代目にあたる陳尊が家名再興を許された。


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